ある日の Accounting
の授業での締めくくりの一節です。大変な議論になりました。Ethics
Problem。。。アメリカにも、そして日本にも欠けている(と私は思っている)、、「モラル」の話しです。
話しの発端は、WALL STREET JOURNAL の記事。タイトルは、
Fatal Flows: Some Artificial Heart Valves That Fail Are Linked to Falsified
Records at a Pfizer Unit
人工弁の欠陥…ファイザー製薬ねつ造データの疑惑
授業はちょうど Managerial Accounting、コスト計算について詳しくみていっている時期です。何を目的に物を製造するか。品質がいいとは何か。生産性が高いとはなにか。何を基準に判断するのか。たくさん売ればいいのか。。。。
コスト管理のためには、製造部門の生産ラインのデータを事細かに収集分析し、社の戦略と照らし合わせて、速やかにフィードバックしていく。これ、70年代から80年代に確立した基本的マネージメント手法です。ここで問題として取り上げられているのはファイザーの人工心臓弁です。その生産過程に「溶接」があるのですが、どうしても不良なものが出てきてしまい、検査に引っ掛かった物はそのまま廃棄処分。生産性を上げるには、この不良弁を如何に少なくするかが重要なテーマでした。果たして彼らのとった対策は。。。記事には明確には記されていませんが、業界ではタブーとされている「再溶接」、つまり廃棄処分になるはずの不良品を再溶接と研磨でごまかし、製品として出荷する。100%の出荷率。当然製品あたりの製造原価は画期的に下がり。。。
果たして、それらの欠陥商品によって、何人もの命が奪われることになりました。
さて問題はここからです。教授の質問。
「さて、あなたがたが企業コンサルタントだと仮定して、この企業をどう分析しますか?」
コンサルタントはコンサルタントとしての使命を全うすべきだ。義務がある。契約だ。犠牲になった人間一人あたりのコスト?
保険金 ?
そして、この会社が今後取るべき方向を客観的にデータで示す。それがコンサルタントとしての業務だ。
この意見には何人かが同調しました。教授は諭します。
「人間の命がかかっている問題よ。そこはどう考える?」
もちろん、人命は最大限尊重すべき。だからこそ、徹底的に「洗う」必要がある。企業がどの方向性に重きをおくか、これは企業の戦略だ。その戦略に従って、コンサルタントは事実を分析する。もちろん、命を落とされた犠牲者を考えると、そういった業務や契約のレベルの話しじゃないのはわかる。しかし、プロフェッショナルというのはそういうものだ。。。
どうも若い学生はこの意見に同調しています。苦しい、つらい、だが仕方ない。。。職務経験のある年配組みは、すこし距離をおいて、この熱い議論を見守っています。
分析、提案、情報、データ、客観的、義務、契約、、、確かにどれも大切なことです。企業は、利益=金を創出するがために存在し、我々労働者は給料によって日々の生活を賄います。利益のない企業は潰れるのみ。市場経済の鉄則です。
しかし、しかし、あまりにそこに注目、集中しすぎるがために、なにか大切な大前提を忘れてはいないか。論理的に正しければそれで良いのか?人間一人を死に至らしめるコスト(損害賠償)と、利益を天秤にかけることになんの意味があるのか?
「論理」=理屈。これがないとアメリカではやっていけません。ほんのちょっとした意見も、確固とした証拠と論拠によってサポートされていなければ、説得力がないと一蹴されてしまいます。マネージメントの世界も、利益創出のための「論理」をひたすら追いかけてきました。そして産まれたのが80年代後半の「MBA不要論」。データ+理論武装したロボットのようなエリート集団はもういらない。これから求められるのは、それらに加えて「倫理」=モラルです。人の命と企業の利益を同じ次元で比べたりすることに疑問を感じる「常識的センス」です。
さて授業の方は、喧喧諤諤。これといった結論は出ません。時間切れ。最後に教授は、冒頭の言葉をOHPに写して、授業を締めくくりました。
仕事を失ったところで、友達を失うよりはまし。友達を失うのはつらいけど、魂を失うのに比べれば。なぜなら、魂を失うということは、すべてを失うということだから。